価値観 Circumstances alter case ?

「価値観を共有する」私には、なかなか難しい言葉だ。親子、男女、友人、諸外国、様々な関係性において度々語られる、フレーズだ。価の意味は「あたい」を意味するものであり、値の意味は、物が売買されるときの金額とある。観の意味は、対象を眺めて見る。見渡す。見物する、物事を念入りに見る、物事を見て、意味や本質をとらえる、考えるなどとするのが解釈に役立つだろう。「価値観が違う」とは、「あたい」の意味が違うわけで、それは、状況・事情(Circumstances)によって左右される場合が考えられる。似たような状況・事情(Circumstances)で育まれれば当然「あたい」に対する感じ方が似る。この「あたい」に対する考え方や、編み出し方も状況・事情(Circumstances)に決定される。「価値観を共有する」ことができるのは、同じカテゴリーの関係性だけでしか成しえないのか。時々「価値観を強制」する場面に出くわすが、馬鹿げたことだ。最初から共有できる状況・事情ではないのだから。We have different values and ways of thinking. と最初から一線引いておくか、距離をとれば問題は起こらないような気がする。国際問題には特に必要かもしれない。

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